自然農 糯米万石(まんごく)の脱穀
今日は午後から糯米の万石(まんごく)の脱穀でした。万石は熊本県水俣市で作られてきた在来の香り米の糯米です。
10/21に稲刈りハザ掛けをして今日まで一回も雨が降りませんでした。
カリカリに乾いている感じでしたのでハザ掛けから20日目の脱穀です。
使用するのは木製の唐箕と知り合いから借りてきたアルミの足踏み脱穀機です。
足踏み脱穀機はかなり籾が飛ぶのでブルーシートで覆っています。受けには手箕を置いています。
最初に手で回転部分を先に押して回転させ、ペダルが下に向かって動き出したら足で踏み始めます。歯は向こう側に回転させます。
脱穀する稲は取りやすいように横に置いておきます。脱穀し終わった藁は背後の邪魔にならない所に投げます。
この笊は"籾とおし"といって、友人である竹細工職人の松本裕和(まっぽん)さんにお願いして作って頂きました。
穂についた籾を笊に擦り付けて穂から外していきます。とても役に立つ道具です。
足踏み脱穀機だけでは籾が穂から綺麗に取れないので、籾とおしを使って選別していきます。
選別した後。残った藁やゴミは唐箕で飛ばします。
唐箕です。ハンドルで風車を回転させて、風を起こし、重いものが手前に、軽いものは先に飛んでいく仕組みです。
右側が重い籾、左側は軽い籾。それ以外の空の籾やゴミなどは左にある出口から外に飛んでいきます。
左の軽い籾をもう一度唐箕にかけたら、脱穀と籾の選別が完了です。
昔の人は動力機械がなくても手道具で暮らしを立ててきたのですね。
機械に使われるのではなく、人間が道具を上手に使って、時間、空間、共に一体の中で作業を進めてきたのだと思います。
遠い国からエネルギーや資源を持ち込まなくても、1のエネルギーを得る為に10のエネルギーを消費しなくとも、自分たちの暮らすそれぞれの地域で、自立して、問題を招くことなく豊かに生きていくことができるのですね。
自然農 生姜の収穫
10度を下まわる日が出てきたので、午前中に生姜の収穫をしました。
一つの種生姜からここまで大きく育ってくれました。最近は雨が降らずに土がカチカチになっていました。スコップを差し込んで土をテコの原理で動かしてから茎を持ち上げて収穫します。
去年は購入した種だった為か収量が少な目でしたが、種を引き継いで、大きめの種生姜を植えたところ、今年は同じ面積で収量が倍以上になりました。
沢山分蘖しています。
立地は田んぼの水が少し滲み出てくる畑に、幅1mの高畝を立てて栽培しています。
自然農は一度立てた畝は耕さず使い続けます。
耕さない事で沢山のいのちの営みが断たれる事なく、「食べては出して」「生まれては死に」を繰り返し、調和を保った状態で豊かになっていきます。
今年は連作障害を避ける為に去年使った畝の隣の畝で栽培しました。隔年で栽培する予定です。
自家用で栽培しているのですが、土地が合っているのか、思いがけず沢山出来てしまいました。
来年の種生姜にとっておいて、作付面積を増やして販売するのもありかもしれませんね。
無肥料、無農薬、不耕起の自然農の生姜、ご要望がありましたら教えてくださいね。
自然農 麦の発芽・アケボノの稲刈り
熊本県菊池市で自然農をされているSさんから分けて頂いたスペルト小麦が発芽していました。緑が濃い葉っぱが出てきています。
どんな姿になるのか、とても楽しみです。
六条大麦も発芽していました。麦茶用に栽培します。
今日は五枚ある田んぼのうちの五枚目の稲刈りでした。品種はアケボノです。
台風が直撃して斜めに倒れてしまったので、稲刈りは稲が向こう側に倒れる方向で入ります。
かなりスズメが多く、隙を見て食べにくるので、ヤッケでカカシを作ったら来なくなりました。
今日も妻と二人で稲刈りハザ掛けをしました。
我が家の田んぼと畑を上の道路からみたところです。
田畑ではとても穏やかな時間が流れています。
ハザ掛けした稲を見ながら、妻と二人で「美しいね」と言いながらため息をつきます。
手作業の農作業はとても贅沢な時間だと感じます。
一つ一つ丁寧に作業を進めます。
育つ環境と関係性の大切さ
野菜を健康に育てるには、その野菜に適した環境で育てることがとても大切です。
水蓮が泥池でも美しい花を咲かせるのは、環境に対して我慢して耐えしのいで花を咲かせるのではなく、蓮にとって適している環境なので美しい花を咲かせる事が出来ます。
例えば、海水で蓮を育てると枯れてしまいます。
野菜も稲も人間も、適した環境で育まれる事によって美しく健全に生きる事が出来るのです。
(菊芋の花)
(花を咲かせる緑米)
例えば稲は水を好む草です。
乾燥した土地では上手く育たず実をつけてくれません。
逆に白菜やトマトなどは水捌けの良い土地を好むので、湿り気のある土地では上手く育ちません。
(白菜)
(湿り気が多いと虫喰いが多くなる)
人間も同じで、空気が悪い場所、環境が汚染された場所、人間性とは関係なくシステム効率の為に作られた場所、抑圧されたり強制されたりする場所では、健全に成長する事ができません。
人間の場合は、自ら環境を整える事ができるので、自然環境が厳しい場所、極寒の地や南国では身の回りや暮らしを整える事で、対応してきました。
現代では、空調が効いていようと、暮らしがどんなに便利になろうと、自分たちが生き生かされている土台が見えておらず、虚構のシステムの為に人間社会が構築されているが故に、本来の健全な人間性が社会から排除される環境作りになっています。システムにとっては健全な人間性は非効率的で邪魔だからです。
(田植えが終わった田んぼにキジのつがいが現れた)
(自然農の田んぼでは様々な生き物が共存している)
「いのちは、順応する事が出来る」
というのは師である川口由一さんの言葉です。
タイからきたジャスミンライスを川口さんが育てた時、一年目はタイから日本に環境が変化したこともあり上手く育たなかったそうですが、2年目以降、どんどん良く育つようになったそうです。
また私も生姜の種など、違う産地の物を育てた場合、一年目よりもニ年目の方が上手く育っています。
環境が健全ならば、いのちもそれに対応して変化していく、という事だと思います。
環境が健全かどうか、適する事のできる環境かどうか、というのは健康に生きていくにはとても重要な要因です。
(2年目の生姜)
栽培も子育ても大切なのは、作物と農夫の関係性、親と子の関係性です。
農夫が作物の性質に、沿い、応じ、従い、任せる事が出来ているかどうか。
親が子に、沿い、応じ、従い、任せる事が出来ているかどうか。
必要な時に必要なだけ手を貸す事が出来ているかどうか。
見守る事が出来ているかどうか。
こちらの欲望を相手に押し付けていないかどうか。
健康を損なうものを進んで与えていないかどうか。
どんなに適した栄養を与えて病気にならぬよう薬を与えても、いのち本来の営みをこちらの欲望でコントロールしているのであれば、健全に育つことはありません。
見た目や大きさが良くても、生命力は弱く、いのち本来の力は発揮できておらず、それは健康ではないのです。
いくら自然の環境で子育てをしても、子供の自発性を抑圧し、親の価値観を押し付け、強制させるのであれば、子供は健全に育つことはありません。反発し、親とは違う環境へ、親の価値とは違う所へといくでしょう。
いのちが健全に育つには、育つ環境と関係性がとても大切になってくるのです。
(草の中で育った間引き大根)
自然に沿う、野菜に沿う、稲に沿う、子供に沿う。
自然本来の営み、野菜本来の営み、稲本来の営み、子ども本来の営み、というものがあります。
内に宿された神聖な営みです。
その妙なる営みに如何に沿う事が出来るか、邪魔をしないでいられるか、余計なことをせずにいられるか、という事が大切になってきます。
それは、いのちが健全に営む事が出来るかどうか、という事に直結してきます。
(秋の収穫)
妙なる営みを阻害したり、抑圧したりする事で、いのちは健全さを失い、自らを病ましめ、自他ともに損ねることになります。
絶対絶妙の自然界の営みは、健やかさそのものであり、美であり、善であり、真です。
その自然界の大いなる調和の中に存在する私たち、そこから生まれた私たちです。
自然と人を切り離して考えるのではなく、人も自然の営みの中でのことであり、切っても切り離せない関係です。
(収穫した新生姜)
自然界は健全な妙なる営みを運行しており、耕さなくとも、肥料農薬を使わなくとも、その大調和から生み出される自然界の恵みは、私たちを健全に養ってくれます。
栽培せずとも採集できるもの、作物の自立まで手を貸すもの、ほんの少し手を貸すもの、どれも根底には、虫、草、微生物、土、風、雨、太陽など無限のいのちの営みがあり、いのちが育まれます。
(秋の収穫)
子どものいのちも同じで、内に宿した妙なる営みを阻害せぬよう、抑圧せぬよう、いのち本来の輝きを奪わぬようにする事で、健やかに、のびのびと育つ事ができます。
火のある暮らし
今日は妻の甘夏園に立ち枯れしている防風林(イヌマキ)の木を薪用に伐採しにいきました。
立ち枯れしている3〜4mの防風林を伐採して玉切りしていく。
すでに乾燥しているので薪割りをしたらすぐに薪として使える。
薪ストーブの炉台と炉壁と柵はDIY。火吹き竹もこしらえました。竹は薄皮を削ると後に黄芩色に輝いてくれます。
穴の大きさが重要。何度も息を吹いて確かめながら穴の大きさを調整しました。
今年から設置した我が家の薪ストーブ。熊本県宇城市三角町にあるノザキ産業さんが取り扱っているもの。とても良いです。
今年からは石油ストーブとはおさらばして、自然の薪の温もりで過ごせています。
なんと嬉しいことでしょうか。
薪の火は、身体の芯から温めてくれます。
自分たちのエネルギー用に、来年から自分の山にクヌギやコナラなどの木を植えていく予定です。
自分たちが暮らす身近な所でエネルギーが自給できて、安心安全に暮らしていけるように整えていきたいと思います。
薪暮らしは、本当になんとも言えない幸せな気持ちになります。
薪という恵みを与えてくれる自然界に、心の底からありがたい気持ちが湧いてくるのです。