自然に沿う、野菜に沿う、稲に沿う、子供に沿う。
自然本来の営み、野菜本来の営み、稲本来の営み、子ども本来の営み、というものがあります。
内に宿された神聖な営みです。
その妙なる営みに如何に沿う事が出来るか、邪魔をしないでいられるか、余計なことをせずにいられるか、という事が大切になってきます。
それは、いのちが健全に営む事が出来るかどうか、という事に直結してきます。
(秋の収穫)
妙なる営みを阻害したり、抑圧したりする事で、いのちは健全さを失い、自らを病ましめ、自他ともに損ねることになります。
絶対絶妙の自然界の営みは、健やかさそのものであり、美であり、善であり、真です。
その自然界の大いなる調和の中に存在する私たち、そこから生まれた私たちです。
自然と人を切り離して考えるのではなく、人も自然の営みの中でのことであり、切っても切り離せない関係です。
(収穫した新生姜)
自然界は健全な妙なる営みを運行しており、耕さなくとも、肥料農薬を使わなくとも、その大調和から生み出される自然界の恵みは、私たちを健全に養ってくれます。
栽培せずとも採集できるもの、作物の自立まで手を貸すもの、ほんの少し手を貸すもの、どれも根底には、虫、草、微生物、土、風、雨、太陽など無限のいのちの営みがあり、いのちが育まれます。
(秋の収穫)
子どものいのちも同じで、内に宿した妙なる営みを阻害せぬよう、抑圧せぬよう、いのち本来の輝きを奪わぬようにする事で、健やかに、のびのびと育つ事ができます。