理屈で分かっているだけでは本当に分かっている事にはならない
自然農や漢方治療、親子関係、夫婦関係、友人関係、社会との関わり方など全てにおいて言える事ですが、理屈で分かっているだけでは、それは本当に分かっている事にはならない、という事です。
どういう事かといいますと、"こうすればああなる"や、"こういう時はこうしたら良い"や、"こうあるべきだ"などという事を経験や情報のみから答えを導き出すというのは、「本当に分かっている」のではない、という事です。
状況は常に変化し続けますので、情報や経験を沢山集めて答えを出しても、正解になるという事ではありません。
では、本当に分かっている状態というのはどういうことなのでしょうか。
情報や経験知があり、それでいて情報や経験知に囚われていない状態である必要があります。
情報や経験はあくまで相対的なものであるので絶対ではないのですね。
経験や情報を持った上で、経験や情報に囚われず、「今」を大切にします。
「今」を無きものにせずに答えを出すことのできる状態、相対的な理屈を超えた、絶対的な状態で導き出される答えが、本当に分かっている状態、という事になります。
部分の寄せ集めでは本当の答えに至らないのです。常に自分のあり方が問われる訳ですね。
老木や枯れ木などの伐採
老木や枯れ木の伐採をしています。(太い部分は長さ40㎝程にして薪にします)
私が農園を引き継ぐ一昨年まで、30年以上慣行栽培だった農園です。
去年から自然農に切り替えたという事もあり、高接ぎの木や老木などの弱い木は耐えられずに枯れていっています。
木を残す事にあまり囚われずにどんどん自分のやりたい品種や農園の形にしていこうと思っています。
木の伐採が終わったら奥の園地の真ん中に車が入れる道を作ります。
電柵の回収・ヘアリーベッチの種蒔き
電柵下の夏の草刈りが間に合わず、草が盛大に繁ってしまいました。草が電柵に接触し漏電してしまい機能をほとんど果たしていない状態です。
今年で園地に草を生やし始めてニ年目です。
みかんの師匠の池田さんは草を殆ど刈らずに、鉄の棒で倒して管理されています。
草の種類もうちとは全然ちがいます。池田さんの園地は蔓系の草が多くグランドカバーの役割をしてくれます。うちの園地がそのようになるにはまだしばらく時間がかかりそうです。
一年目は前の園主さんが除草剤を使っていたので草がなかなか生えてこず心配していたのですが、今年は荒く強い系の草がわんさか生えています。アメリカセンダングサという【バカ】が服に沢山付く草がほとんどで園内に入るのも億劫になるほどです。
まだまだ土が痩せているので今年は緑肥であるヘアリーベッチを蒔きました。
ニ年目は半砂漠化していた園地に草が生え始め、いのちの営みが少しずつですが甦ってきているようです。アメリカセンダングサのバカは厄介ですが、それでも愛おしく感じます。
電柵を回収しています。
電柵は針金が入っていて手でただ巻いていくと使う時に高確率で絡まるので、廃木材をH型にして電柵を巻き付けます。
冬もやる事はいっぱいです。
冬の間に、園地に車が入れるようにユンボを使って道を作りたいと思います。圃場整備ですね。
そして温州みかんをサワーポメロ(パール柑)に植え変えて行く準備をしていきます。
何事も一つずつ確実に、ですね。
色々と楽しみです。
自然農について
今日はアジア学院の学生の皆さんが水俣自然農園の自給用田畑に見学に来られました。
私は普段、自然農のことを誰かに直接お話しする機会が無いので、しどろもどろで、ちゃんと皆さんに伝わったか不安だったのですが、私自身も良い学びとなりました。
ここで自然農について、自分なりの言葉で伝えられるよう、改めてまとめておこうと思います。
「自然農とは」
耕さず、肥料農薬を用いず、草や虫を敵としない、自然の営みに沿い、応じ、従い、任せる農のあり方です。
何故耕さないのかというと、自然界はどこも耕されておらず、耕されずに豊かになった自然界に私たちは生かされているからです。
耕さない方がいのちの舞台が豊かになります。
また肥料農薬を用いず、草や虫を敵にしないのは、草や虫も全てが一体の営みをしており、自然界を豊かにしている存在という認識からです。
作物、草、虫、小動物、微生物など、全てが生きるに欠かせない存在です。
耕すと土の中の有機物がいっきに分解され、始めは養分が増えますが、生命の営みが断たれますので、土は硬く締まり、痩せてしまいます。なので、一度耕すと次に栽培する時に養分を外から持ち込まなければならなくなります。
耕さなければ、小動物や微生物、草の活動が盛んになり、食べては出して食べては出して、生まれては死んで生まれては死んで、、、その亡骸や排泄物で、いのちの舞台は豊かになっていきます。過去の豊穣の舞台で今を生きる動植物微生物、そして私たちです。
自然界は一体の営みをしており、常に調和を保っているので農薬も必要ありません。虫喰いが多くなったり、病気が出るのは、作物が健康で無い場合が殆どです。
作物が適期適作、適地適作で、養分過多や養分不足になっていなければ、病害虫に侵されることなく、健康に育ってくれます。
上手く育たないのはこちらの手の貸し方に問題があり、常にこちら側の問い直しが必要となります。こちらが余計なことせず、的確に手を貸す事が出来れば作物は一体の営みの中で見事に育ってくれます。
「自然農の収量について」
自然農で的確に育てた作物は、自然界にとっても人間にとっても多くもなく少なくもない収量が得られます。
自然農の収穫量は、慣行栽培や有機栽培と比べると質量的には少ないかも知れません。しかし沢山のいのちの営みの中で育った自然農の作物は確実にいのちが詰まっており、奥深く、豊かです。食味を超えたところでもそれを実感する事ができます。そして私たちの心身を充分に養ってくれます。
自然農では大型機械やビニールマルチなども使わないので、作付面積に限りがあります。
自然の理の中では、人間が作業できる量には限りがあり、その限られた中での作物栽培になります。それは自然の営みを壊さない、調和のとれた一体の営みをするにはとても大切な事です。人間だけが栄える事のない自然界です。
大型機械やビニールマルチを使うと一見効率的に見えますが、その裏には膨大なエネルギー資源が使われていて、10のエネルギーを投入して1のエネルギーを得るとも言われています。
自然農の田畑で作業をしていると、自分も自然の一部であり、一体の営みているのだと感じる事ができます。心が安らぎ、大安心の中で、とても豊かな気持ちになります。
私たちはどこに生かされているのか
私たちはどこに生きていけば良いのか
私たちはどれだけの事をすればよいのか
本当の豊かさはどこにあるのか
それらの答えを自然農を実践する中で日々学ばされています。
自然農 シロガネコムギの種おろし
薄力粉の小麦を作っている方が周りにいなかったので検索したところ、金沢大地さんでシロガネコムギという品種の玄麦(食用)を取り扱っておられたので購入しました。
食用で発芽率の確認はされていないという事なので試しに蒔いてみます。
草を刈って除けたあとに、作付け紐を張って、草の種を除ける為に種を下ろす条の表層の2センチほどの土を鍬で削ります。
幅120センチの畝に2条で蒔いていきます。
種を下ろす条を鍬で深さ5センチほどで土を切り刻んでいき、宿根草の根を切って取り除いていきます。
宿根草の根を取り除き、土がほぐれたら、土を鎮圧せずに種をパラパラと下ろしていきます。小麦は土に接していれば発芽しますので覆土せず、足で鎮圧して麦を土に密着させます。最後に刈った草を土が隠れる程度に被せたら完了です。
シロガネコムギは薄力粉〜中力粉の分類だそうですので、天ぷらやお菓子作りに向いているそうです。発芽してくれますように。
また報告いたします。